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掛け軸/掛軸/禅語にまつわる人物「白隠(はくいん)」

白隠慧鶴(はくいん えかく)
江戸時代中期の臨済宗の禅僧で、近世臨済禅中興の祖とされる。貞享2年(1686)~明和5年(1769)。道号は白隠、法名は慧鶴。別号は鵠林。駿河駿東郡原宿の長沢家の三男として生まれる。1699年(元禄12)同地「松蔭寺」の單嶺祖伝について出家。各地の禅匠に歴参。1708年 越後高田の英巌寺性徹のもとで「趙州無字」の公案によって開悟するも満足せず、宝永5年(1708)信儂飯山の正受庵主道鏡慧端(正受老人)のもとで大悟し、印可を受けた。享保2年(1717)「松蔭寺」に住し、翌年「妙心寺」首座となり白隠と号した。以後自坊「松蔭寺」において大勢の参徒を指導、弟子を育成するとともに、請に応じて各地に仏経・祖録を講じ布教につとめ、曹洞宗・黄檗宗に比して衰退していた臨済宗を復興させ「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と歌われた。宝暦13年(1763)三島(静岡県)の竜沢寺を中興開山。明和5年(1768)松蔭寺で示寂。明和6年(1769)後桜町天皇より神機独妙禅師の諡号を、また明治17年(1884)明治天皇から正宗国師の諡号を賜る。『槐安国語』『息耕録開筵普説』『荊叢毒蘂』など漢文体の語録と『夜船閑話』『壁生草』『薮柑子』『遠羅天釜』『おたふく女郎粉引歌』『大道ちょぼくれ』などの仮名法語がある。会下に東嶺円慈、遂翁元盧、峨山慈棹、葦津慧隆など多数の禅傑を輩出、鵠林派(こうりんは)ともよばれその厳しい公案禅は臨済宗を席捲し法流を独占するにいたる。明治以降、白隠の名はその墨蹟・禅画に対する興味が先行してひろく知られるようになり、臨済宗十四派は全て白隠を中興とし「白隠禅師坐禅和讃」を坐禅の折に読誦するが、没後100年にはすでに「中興の祖」とする認識が定着し「坐禅和讃」が日課として誦まれるようになっている。

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