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掛け軸/掛軸/禅語の深い関わりのある寺「大徳寺の伽藍(がらん)」

伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味するようになった。

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勅使門、三門、仏殿、法堂(はっとう)がほぼ一直線に並び、これら中心伽藍の北・南・西に20ヶ寺以上の塔頭寺院が並ぶ。
勅使門 (重要文化財)
慶長年間(1596年 - 1614年)建立の御所の門を下賜され、寛永17年(1640年)に移築されたもの。
三門 (重要文化財)
二層の山門。連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、天正17年(1589年)、千利休が上層を完成させて金毛閣と名づけられた。利休は上層に自身の木像を安置した(つまり、門をくぐる者は利休の下を通ることになる)が、これが豊臣秀吉の怒りを買い、秀吉はこのことを楯に利休に自決を迫ったという。
仏殿 (重要文化財)
寛文5年(1665年)、京の豪商・那波常有(なわじょうゆう)の寄進で建てられた。
法堂 (はっとう、重要文化財)
寛永13年(1636年)、小田原城主稲葉正勝の遺志により、子の正則が建立した。天井に描かれている「雲龍図」は狩野探幽35歳の作。
方丈および玄関 (国宝)
江戸初期の建築で、禅宗様建築である法堂や仏殿と異なる日本様式の建物である。方丈は正面29.8メートル、側面17.0メートル、入母屋造で桟瓦葺(本来は檜皮葺)、玄関は桁行6間、梁間1間、一重、唐破風造で桟瓦葺。中心伽藍の北側に位置し、土塀に囲まれた一角にあたる。方丈は寛永12年(1635年)、玄関はその翌年、豪商・後藤益勝の寄進で建てられたもので開祖大燈国師(宗峰妙超)300年遠忌を記念して新築されたものである。玄関は翌寛永13年に完成している。「方丈」は元来は住職の居室を指したが、後に住持の居間は別所に移転され、朝廷の勅使や幕府役人の接待・宗教行事などに用いられる空間となった。通常の方丈建築は、前後2列、左右3列の計6室を並べる平面形式が多いが、大徳寺方丈は前後2列、左右4列の計8室をもつ特異な形式で、向かって右から2列目の前後2室は、開祖大燈国師(宗峰妙超)の塔所(墓所)である雲門庵となっている。雲門庵の一部は方丈北面の広縁を越えて北側に突出している。宗峰は、「自分の死後に、墓所として別の寺院を建てるには及ばぬ」と遺言していたため、このような形式になっている。方丈の障壁画は狩野探幽の作。枯山水庭園は国の特別名勝および史跡に指定されている。
唐門 (国宝)
近世初頭の四脚門。切妻造、檜皮葺。前後軒唐破風付。本願寺、豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」と呼ばれる。仏殿・法堂などの中心伽藍の北に位置し、方丈南の土塀に接続する。本来は大徳寺唐門の位置には明智門が存在し、唐門は三門西側から大慈院に通じる通りに建っていた。唐門は聚楽第から大慈院に移築されたと伝えるが、1886年(明治19年)に明智門を南禅寺金地院に売却したことに伴い大徳寺方丈前に移築された。この門の特徴は各所にみられる自由闊達な彫刻で、随所に龍や鯉などの彫刻が施され、一部では組物の代わりにこうした彫刻が用いられている。





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