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掛け軸/掛軸/禅語の深い関わりのある人物「千利休 生涯」

栄達
和泉国・堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」)の生まれ。家業は納屋衆(倉庫業)。父は田中与兵衛(田中與兵衞)、母の法名は月岑(げっしん)妙珎、妹は宗円(茶道久田流へ続く)。若年より茶の湯に親しみ、17歳で北向道陳、ついで武野紹鴎に師事し、師とともに茶の湯の改革に取り組んだ。堺の南宗寺に参禅し、その本山である京都郊外紫野の大徳寺とも親しく交わった。
織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として雇われ、のち豊臣秀吉に仕えた。天正13年(1585年)10月の秀吉の正親町天皇への禁中献茶に奉仕し、このとき宮中参内するため居士号「利休」を勅賜される。天正15年(1587年)の北野大茶会を主管し、一時は秀吉の重い信任を受けた。また黄金の茶室の設計などを行う一方、草庵茶室の創出・楽茶碗の製作・竹の花入の使用をはじめるなど、わび茶の完成へと向かっていく。秀吉の聚楽城内に屋敷を構え聚楽第の築庭にも関わり、禄も三千石を賜わるなど、茶人として名声と権威を誇った。


賜死
天正19年(1591年)、利休は突然秀吉の勘気に触れ、堺に蟄居を命じられる。前田利家や、利休七哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが助命は適わず、京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。70歳であった。切腹に際しては、弟子の大名たちが利休奪還を図る恐れがあることから、秀吉の命令を受けた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだと伝えられる。死後、利休の首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形でさらされたという。
利休が死の前日に作ったとされる辞世の句が残っている。
人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛死罪の理由は定かではなく、

大徳寺三門(金毛閣)改修に当たって増上慢があったため、自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせた疑い。

安価の茶器類を高額で売り私腹を肥やした(売僧(まいす)の行い)疑いを持たれた。

天皇陵の石を勝手に持ち出し手水鉢や庭石などに使った疑い。

秀吉と茶道に対する考え方で対立した疑い。

秀吉が利休の娘を妾にと望んだが、利休は「娘のおかげで出世していると思われたくない」と拒否し、秀吉はその事を深く恨んでいた疑い。

などさまざまな説が立てられているが定説はない。 また、豊臣秀長死後の豊臣政権内の不安定さから来る政治闘争に巻き込まれたため、という説もある。利休が秀吉の政事に大きく関わったことは、大友宗麟が大坂城を訪れた際、豊臣秀長から「公儀のことは私に、内々のことは宗易に」と耳打ちされた逸話などからも伺え、そのように利休が深く政務に関わることに反発し利休の失脚を望む勢力は確かに存在したと言われる。

利休忌は現在、3月27日および3月28日に大徳寺で行われている。


死後
千利休の自害後、聚楽第敷地にあった利休聚楽屋敷(毘沙門町および葭屋町通元誓願寺下ル町の晴明神社の近くにあったという)は、秀吉の手によって取り壊された。十数年後、この屋敷跡地は、利休七哲の一人である細川忠興の長男の長岡休無の茶室・能舞屋敷として活用された。
茶の湯の後継者としては先妻・宝心妙樹の子である嫡男・千道安と、後妻・宗恩の連れ子で娘婿でもある千少庵が有名であるが、この他に娘婿の万代屋宗安、千紹二の名前が挙げられる。ただし道安と少庵は利休死罪とともに蟄居し、千家は一時取り潰しの状態であった。豊臣家の茶頭としての後継は古田織部であったが、その他にも織田有楽斎、細川忠興ら多くの大名茶人がわび茶の道統を嗣いだ。
利休死後数年を経て(1595年(文禄4年)頃)、徳川家康や前田利家の取りなしにより、道安と少庵は赦免された。道安が堺の本家堺千家の家督を継いだが、早くに断絶した。このため、少庵の継いだ京千家の系統(三千家)のみが現在に伝わる。また薮内流家元の藪内家と千家にも、この時期姻戚関係が生じる。
三千家は千少庵の系譜であり、大徳寺の渇食であったその息子・千宗旦が還俗して、現在の表千家・裏千家の地所である京都の本法寺前に屋敷を構えた。このとき宗旦は、秀吉から利休遺品の数寄道具長櫃3棹を賜ったという(指月集)。その次男宗守・三男宗左・四男宗室がそれぞれ独立して流派が分かれ、武者小路千家官休庵・表千家不審庵・裏千家今日庵となっている。件の木像は今日庵に現存する。




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