掛け軸/掛軸/禅語「一日不作一日不食」(いちじつ なさざれば、いちじつ くらわず)
「一日作さざれば一日食らわず」という言葉は字面だけ読めば、一瞬、「働かざる者食うべからず」と思われるかもしれませんが、意味は全然違います。これは、唐の時代の有名な禅僧百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の言葉です。
『祖堂集』巻十四 百丈和尚に「師平生苦節高行、難以喩言。凡日給執勞、必先于衆。主事不忍,密收作具、而請息焉。師云、吾无?₩A争合勞于人。 師遍求作具、既不獲、而亦忘喰。故有一日不作、一日不食之言、流播寰宇矣。」(師、平生苦節高行にして喩を以て言うこと難し。凡そ日給の執労は必ず衆に先んず。主事忍びず、密かに作具を収めて、息わんことを請う。師云く、吾に徳なし。争でか合に人を労すべけんと。師、遍く作具を求め、既に獲ずして亦た喰することを忘ず。故に一日作さざれば一日食わずの言有りて、寰宇に流播せり。)とある。
「一日作さざれば一日食らわず」
百丈が八十歳の時です。この高歳になっても百丈は日々の作務をしていました。
弟子たちは高齢のこの作務を見かねて師匠に、「作務をやめてください」と申し入れます。
それでも聞き入れなかったので、作務ができないように、作務に必要な道具を隠してしまいます。そうなると、百丈は作務をしようにもできない。その日、百丈は食事をとらなかったのです。次の日も、その次の日も。それが三日も続いたので、弟子たちは師匠に、「なぜ食事を召し上がっていただけないのですか?」と尋ねました。
そのときに百丈が答えた言葉が、「一日作さざれば一日食らわず」であったのです。
そこで、弟子たちは師匠に非を詫びて道具を返しました。すると百丈はすぐに作務に出かけ、いつものように食事をしたということです。
禅宗には「作務」と呼ばれるものがあります。作務は、「作業勤務」を約した言葉で、労働を意味します。作務は労働といっても、生活のためのものではありません。労働を通して、その生活が、そのまま仏法を行ずるように心がけることが大切なのです。
掃除、草取り、水まきとお寺にいるといろいろな作務があります。雑用の仕事かもしれませんが、百丈に言わせれば雑用ではないのです。つまり禅宗においては、雑用と思えても、すべての作務が禅なのです。そう信じて作務をしなければならないというのが、禅の考え方ということです。
もっと言えば、食べることも、寝ることも、休むことも、なにからなにまで禅でないことはないのです。百丈に言わせれば、生活がそのまま禅だと言うことです。このことを弟子たち、そしてわたしたちに教えたかったのではないでしょうか。
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