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掛け軸/掛軸/禅語「風定花猶落(かぜさだまりてはななおおつ)」

宋の王安石(1021~1086)の集句詩に「風定花猶落、鳥啼山更幽」(風定まりて花なお落つ、鳥鳴きて山さらに幽か)とある。宋の沈括(しんかつ:1031~1095)の『夢溪筆談』(むけいひつだん)に「古人詩有、風定花猶落之句、以謂無人能對。王荊公以對、鳥鳴山更幽。鳥鳴山更幽、本宋王籍詩、元對、蝉噪林逾靜、鳥鳴山更幽、上下句只是一意、風定花猶落、鳥鳴山更幽、則上句乃靜中有動、下句動中有靜。荊公始為集句詩、多者至百韻、皆集合前人之句、語意對偶,往往親切、過於本詩。后人稍稍有效而為者。」(古人の詩に、風定まりて花なお落つ、の句あり、以って能く対する人なしと謂う。王荊公以って、鳥鳴きて山さらに幽か、と対す。鳥鳴きて山さらに幽か、もと宋の王籍の詩、もと、蝉噪ぎて林いよいよ静か、鳥鳴きて山さらに幽か、の対にして、上下句だだこれ一意。風定まりて花なお落ち、鳥鳴きて山さらに幽か、すなわち上句すなわち静中に動あり、下句、動中に静あり。荊公、始めて集句詩を為し、多なるものは百韻に至る、みな前人の句を集合し、語意を対偶するに、往往にして親切、本詩に過ぐる。后人稍稍效いて為す者あり。)とある。集句詩(しゅうくし);古人の詩を寄せ集めて、新しい一編の作品に作り上げたもの。對偶(たいぐう);対句。稍稍(しょうしょう);すこし。やや。少々。『北澗居簡禪師語録』に「上堂。舉玄沙問小塘長老。昨日一場鬧。向甚麼處去。小塘提起袈裟角。玄沙云。料掉沒交渉。師拈云。二大老。只知今日明日。不覺前秋後秋。北澗則不然。今日靜悄悄。昨日鬧啾啾。風定花猶落。鳥啼山更幽。」(上堂。挙す、玄沙、小塘長老に問う、昨日一場の鬧(さわ)ぎ、甚麼の処に向ってか去るや。小塘袈裟角を提起す。玄沙云う、料掉没交渉。師、拈じて云く、二大老、ただ今日明日を知り、前秋後秋を覚えず。北澗すなわち然らず。今日、静悄悄。昨日、鬧啾啾。風定まりて花なお落つ、鳥鳴きて山さらに幽か。)とある。


風定まって花猶落ち 鳥鳴いて山更に幽なり

風は吹きおさまっているのに、椿の花が落ちる。
静かな山中に響き渡る鳥の叫びの一声の後に来る静寂は寂寥感を感じさせ
一層山中の静かさをもたらすもの。
唐詩撰に代表するように唐代の創詩は多いのですが、次の宋代には創詩と共に
古人の句をつなぎ集めて、別の新しい詩にしてしまう遊びとしての集句という
ことが行われたのだそうです。
その集句の名人の王安石が古人の「風定まって花猶落ち」という句にまた他の人の
「鳥鳴いて山更に幽なり」という句をつなげ合わせて、これが元の句以上に味わい
深い句となり禅語として引用されてきた。
 風が全く無く静まりかえった庭先で、ぽとりと花が落ちます。
桜の花のようなぱらぱらでもひらひらでもなく、ぽとりというひとつの音が、
かえって静けさを気づかせ、静寂さを引き立たせます。
すべての動きが止まった単なる静けさではなく、静かさの中に穏やかな温もりと
時の動きを感じる静けさ。全くの無音状態が静かとは限らない。

無音は却って不気味さ不安さを感じさせ心穏やかならず、決して静寂さを
味わうことは出来ないものです。

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