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節句・故事・伝記の掛け軸

節句
●雛
三月節句に飾る。掛軸をかけることもある。雄雛は束帯、女雛は十二単を着け、雲上にあるように描くのが多いが、時代や土地によって様々である。
 桃の花や白酒、菱餅を供える雛祭りは公家から武家を経て庶民層に広がったものだが、室町時代に人形に胡粉を塗る技術が中国から入って普及した。
●武者
五月節句、端午の節句に菖蒲や蓬を軒にさし、鯉のぼり、武者人形や、武者、鍾馗の掛軸を飾る。五月節句に限らず、無病息災を願い年中掛けられます。
●山越阿弥陀三尊佛
転法輪印を結び西方浄土から阿弥陀如来が山を越えて往生者を迎えに来る図。
●石枕(親鸞上人)
柿崎の地で雪の中、宿泊を断られた聖人が戸外で夜半まで称名念仏をしておられる声が殊勝であったので、慳貧の夫婦も聞くに堪えられなくなり、家の中へ招いた。その夜、どんな悪人でも弥陀は決して救いから漏らしはしないと聖人に教勧された。夫婦は共に深い信心家になった。聖人はそこで歌われたとされる。
『柿崎にしぶしぶ宿をかりけるに、主の心 熱柿とぞなる。』
●救世観音
法隆寺夢殿の本尊で、世の中の病苦を除き、人々を救う観音様として、古くから秘仏として祀られ、明治17年、政府の依頼を受け古寺調査にあたった米国人フェノロサが、寺僧を説得して夢殿を開扉し、初めてその全容が明らかにされた。
本尊は樟の一本造りで、両肩に垂れる髪、袖先の先端、天衣の先端以外はほとんど丸彫りに近い作である。
像の全容は、金堂釈迦三尊佛の脇侍像に近い形制をもって表現され、金銅透彫りの宝冠の類を見ぬ素晴らしさといい、宝冠型光背の手の切れるような文様、意匠の彫り口といい、飛鳥時代を代表する作品の一つである。 
故事・伝記
●三保の松原
富士山の眺望に優れる名勝。静岡県清水市三保半島にある。清水港を抱くように発達した分岐砂嘴(し)で、砂丘に松林が続く。御穂神社や、その東南には羽衣伝説にまつわる<羽衣の松>がある。

羽衣
天女が羽衣を奪われて人間と結ばれたが、羽衣を取り戻して天上に立ち帰ったという伝説、昔話。松原に天人は、昔から画題にされる。
三保の松原が有名だが、他にも、天女が羽衣を掛けたといわれる羽衣松や羽衣石のある土地がある。多くの所では、天女は天に帰ったというが、天に帰らずに神に祭られた所もある。男が後を追い、巡り会ったとする所もある。中国地方以南では、二つの星になって七月七日の夜に会うといい、七夕と結びつけられている。一族の祖と関連させることもある。
●高砂
播磨灘に面した加古川河口で、松の名所である。
「高砂や、此浦舟に帆をあげて」と、謡曲が結婚式でうたわれる。紀貫之の『古今集』の序文に「高砂、住之江の松も相生いのように覚え」とある。また、能の代表にもなっている。いずれも、歌道に寄せて君が代を寿いだものである。
絵には、熊手を持った尉と箒を持つ姥とが落葉を掻くのを、相生いの松を背景に描く。
掛軸はお祝いや結婚式で掛けられます。
●一富士二鷹三茄子
夢、特に初夢に見ると縁起が良いとされるものを、順に並べてある。
江戸時代からのことばで、謂われは様々あるが、将軍家に縁深い駿河と関わるものが多い。
富士、鷹、(早生)茄子の名産を並べたとするもの、駿河で高いものを示すとするものもある。後者では、「鷹」は足高(愛鷹)山の俗称、「茄子」は初ナスの値段である。
一説には、徳川家康が戦いのため駿府に来た時、または鷹野に出た時、富士山が高大にそびえ、鷹が獲物をつかみ取るのを見て武運を感じ、茄子が道をはさんで連なるのを見て、「成す」「無駄花がない」のは縁起がよいと思ったからという。
●家康遺訓
・人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。
・不自由を常と思へば不足なし。
・心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。
・堪忍は無事長久の基(もとい)。
・怒りは敵と思へ。
・勝つ事ばかり知りて負ける事を知らざれば、害その身に至る。
・己を責めて人を責むるな。
・及ばざるは過ぎたるに勝れり。人は唯身の程を知れ。
●俳句
草の戸も住み替る代ぞひなの家  芭蕉 『奥の細道』
わびしい草庵も、自分の後に人が移り住んで、雛祭りの衣、自分のような世捨て人とは違って雛を飾った家になっていることだ。

旅人と我が名よばれん初しぐれ  芭蕉 『笈の小文』
これから旅に出ると、「旅人」と呼ばれる身の上となる。おりから初しぐれの降る季節(冬)で、濡れながら旅をし、旅人と呼ばれるのは、自分の気持ちにふさわしく、本懐なことだ。

我が物と思えば軽し笠の雪
自分の利益となる負担であれば、それほど苦痛は感じないことをいう。
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