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風景画の掛け軸

●富士
日本を形作った神々は、長い年月をかけて、高い空から見下ろしながら、美しい一画を作り上げられた。それが富士と五湖の周辺である。南側には白砂西松の海岸を配して、富士山の裾野をより広く見せ、東側から北、さらに南側に山をめぐらせ、五湖の水の流れ出るのを防いでいる。そして、中腹以上は気高く雪で化粧させ、適当に雲をあしらって高く見せている。
描かれたのは鎌倉時代から。江戸時代には、人々の生活に浸透し、絵にもよく登場するようになった。「遠く見てよし近く見てよし富士の山」といわれるように、どこから見ても美しい。
●松島
本三景の一つ。宮城県中部、仙台湾の支湾、松島湾と沿岸一帯をいう。松島丘陵の南東部が沈下して内湾を作り、山頂、尾根が島や岬となって点在する。侵食で奇観を呈する島も多い。
●上高地
長野県南安曇郡安曇村。穂高岳、焼岳、霞沢岳などの高山に囲まれた小盆地。
海抜1500mで、亜高山帯の静寂な美と比類まれな山の品位があって、北アルプスの中心ともいえる。神聖な谷あいの秘境で、「神河内」とも書かれるが、古書は「上河内」が多く、上高地となった。

大正池
1915年、噴火した焼岳の泥流でできた、梓川のせき止め湖。0.1平方キロメートル。深さ6m、長さ1540m、幅257mあったが、上流からの土砂で、大きさが三分の一、貯水量は五分の一になった。
当時の名残をとどめる枯れた大木が林立した珍しい池で、林から焼岳の噴煙や残雪の穂高だけが望まれ、自然の妙に喚声を洩らさずにはいられない。
●安曇野
松本盆地の北西側、北アルプス山麓に広がる扇状平野。古代、出雲系の豪族安曇連(あずみのむらじ)が植民したので、今も南北安曇郡の地名がある。信州の穀倉地帯。
●斑鳩(いかるが)の里
奈良盆地の西北にあり、昔、大和川を利用して難波へ通じる交通の要所であった。
601年、聖徳太子が法隆寺を建てられた、日本最古の仏都である。明治政府は、推古美術の殿堂として保護した。その頃始まった法隆寺研究は、まだ定説がない。
法隆寺は、日本書紀に「670年、一屋も余すところなく焼亡した」と記される。昭和の大修理は、聖徳太子の創築として仰ぎたいという国民感情もあってなされた。
聖徳太子以来1300年の歳月が流れたが、今も平和な農村のたたずまいがある。最も古い寺々があり、白壁の民家、松の木、畦道がある。自然の古美術館であり、絶好の散歩道でもある。刈田と藁塚の間を歩く小春日和の冬もよい。

斑鳩の春
春の野辺といえば奈良盆地が代表である。日本文化が起こり、今も残るので、この野原が春になると人を郷愁に導く。
北には山城の境をなす奈良山があり、南吉野の山が霞んでいる。東は大和高原があり、西は河内との境をなす生駒山、金剛山地が連なる。ここに来ると春が輝く。麦畑の緑、菜の花の黄金色、桃畑の紅色。池や田圃の水が光り、飛鳥時代の塔が見えたり、雲雀の声が聞こえる。路傍には、レンゲ、スミレ、天人唐草が昔のままに咲き、歌人の心を悲しませる。

斑鳩の秋
「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の詩情そのままの田園風景がある。緩やかに傾斜する台地に、矢田丘陵を背景として木の葉隠れに見える五重塔と白壁の集落がかもし出す景観は、展雅で明るく、天平の昔を逍遥する。
●日の出と海波
正月に掛ける。日本海側では、結納などお祝いの時、「蓬莱山」の代用とされる。

波濤
哮吼喧関、白湧き碧飜る。又は雲、雨となる、激浪怒濤は壮観で、茫として水波の緩く動く時は精美の極といわれ、古来より絵に多く描かれている。
葛飾北斎は、風を起こす波、淺き水、巻く波、滝、細工波、大波、川、打合せの波、海、高い波、うちまわす波、とう波、さざ波などを描き分けた。
●瀑布(滝)
轟きと大量の水の落ちる様子は壮観で、雄大であり、昔から描かれている。
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