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唐の詩僧二人の名で、終生変わらない友情を持ち続けたといわれる。文殊、普賢の再生などとも伝えられる。両者を題材とした文芸、美術作品は多い。 寒 山 八~九世紀(唐)、伝説的人物。天台山の寒厳に隠棲し、樺の皮を冠とし、布裘(ふきゅう。布の衣)を着、木履をはいて、村落を歌唱して歩いた。 閭丘胤(りょぎゅういん)という人が、太守となり、評判をきいて訪れると、寒山は拾得と共に大笑し、饒舌を嘲った。寒厳に走って帰り、穴に入ったら、穴がふさがったという。詩は、禅宗で詩偈として読まれた。
拾 得(じゅっとく) 天台山国清寺の行者であったが、寒山と二人で国清寺に出入りし、衆僧の残食菜滓(さいし)を拾い、竹筒にたくわえて食糧とし、貧しい生活をした。時に寺中で叫声を発したり、唱歌諷誦(ふうしょう)したり、又廊下を漫歩したりして僧を困らせたという。 僧でも俗人でもなかったが、深く仏教の哲理に通じた。
寒山詩集 閭が、寒山の遺物として、樹や壁から詩三〇〇を集め、豊干(ふかん)と拾得(じゅっとく)の詩を加え、序を書いて出した。一説には、九~一〇世紀(唐末)にできた。 『三隠詩』又は『寒山詩集』といわれる。内容は多様で、民謡、自己の生涯、叙景詩、哲理詩、人の世の汚れを嘆じた箴言(しんげん)詩などがある。