掛軸(掛け軸)のすすめ
●掛軸(掛け軸)とは | ||||||||||||||||||||||
床の間がつくられるようになったのは鎌倉時代ですが、そこに仏画をかけ、香花を供えて仏壇代わりにしたのが始まりです。
室町時代になって、床の間は貴重品や愛玩物を飾るようになりました。 中国との貿易が盛んだったので、鑑賞品として宗元画の掛軸が多く輸入されました。又、茶華道が流行したので格好の鑑賞品として床の間を飾ることになりました。図柄は絵や文字などです。掛軸のためにかかれたものもあれば、古い歌の(絵)巻物などを切り取って作るものもありました。 |
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●北画・南画 | ||||||||||||||||||||||
倭絵(やまとえ)の風景画が盛んであった南北朝(足利)時代に、当時明王朝時代の中国から禅と一緒に渡ってきました。禅宗が南北の二派に分かれていたから、描かれた絵も南北があったわけで、様式に大差はありません。 南画は北画より遅く、江戸時代中期から盛んになりました。 北画は、雪舟、狩野派によって大成されました。雪舟は中国で南画を学びましたが、帰国後、描線をよく使った北画様式を作りました。狩野正信は、足利将軍家の御用絵師ですが、雪舟の南画に日本的装飾を加え、狩野派といわれる豪快で装飾性の強い絵の始まりとなりました。桃山時代の華やかな壁画も北画から出ています。 南画は中国の桂林の山々にそっくりですが、日本の山水画の手本となっていました。 |
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●水墨画 | ||||||||||||||||||||||
濃淡法や、陰影法で描かれた墨の絵。渋いが、時には色を使った絵よりも自然を感じさせます。 古代中国で生まれ、宋・元時代に発達しました。日本には鎌倉時代に輸入され始め、南北朝以降盛んになりました。禅が日本に入って、宗教面だけでなく貴族的な雰囲気によって人々に受け入れられました。そのことを良く示しているのが、禅僧が描いた水墨画です。この頃の水墨画は、北画・南画といわれるものでありました。 有名な画家は、雪舟、狩野派の人々、雪村、長谷川等伯、岩佐又兵衛、宮本武蔵(雅号ニ天)など。 |
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●茶掛 | ||||||||||||||||||||||
茶事では、掛物が道具組の中心とされます。茶席に入って最初に拝見するのが床であり、道具組みの趣向に亭主の心入れを喜ぶものです。 書蹟と絵画です。書蹟には、墨蹟、一行、古筆、懐紙、色紙、短冊などがあります。 墨蹟とは、禅僧の書で、『南方録』にも記されているように、古来から茶席の第一の掛物。見どころは、巧拙ではなく、品格の高さを称美するものです。 |
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掛軸はTPO(「Time(=時)」、「Place(=場所)」、「Ocasoin(=場合)」)に あわせて使い分けます。 |
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