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掛け軸/掛軸/禅語「喫茶去(きっさこ)」

中国唐末の禅僧・趙州の言葉で「趙州喫茶去」と呼ばれる『趙州録』所載の禅の公案。「師問二新到。上座曾到此間否。云不曾到。師云。喫茶去。又問。那一人曾到此間否。云曾到。師云。喫茶去。院主問。和尚不曾到教伊喫茶去即且置。曾到為什麼教伊喫茶去。師云院主。院主應諾。師云。喫茶去。」(師、二新到に問う、上座、曾て此間に到るや否や。云く、曾て到らず。師云く。喫茶去。又、那の一人に問う、曾て此間に到るや否や。云く、曾て到る。師云く。喫茶去。院主問う。和尚、曾て到らず、彼をして喫茶し去らしむるは且らく置く。曾て到る、什麼としてか彼をして喫茶し去らしむ。師云く、院主よ。院主応諾す。師云く。喫茶去。)。「喫茶去」の「去」は命令形の助辞で、単に意味を強める助字と見て「お茶をおあがり」という意味に解する説と、臨濟録の「且座喫茶とは異なり、「茶を飲んでこい」あるいは「茶を飲みにいけ」で、茶を飲んでから出直してこいと相手を叱咤する語であるとする説とがある。趙州が三者に対し一様に「喫茶去」と言ったのについては色々な解釈がある。道元禅師は「いはゆる此間は、頂〓にあらず、鼻孔にあらず、趙州にあらず。此間を跳脱するゆゑに曾到此間なり、不曾到此間なり。遮裏是甚麼處在、祗管道曾到不曾到なり。このゆゑに、先師いはく、誰在畫樓沽酒處、相邀來喫趙州茶(誰か畫樓沽酒の處に在つて、相邀へ來つて趙州の茶を喫せん)。しかあれば、佛祖の家常は喫茶喫飯のみなり。」という。


●「ちょっとお寄りになって、お茶を召し上がって いきませんか?」という意味を表わす言葉です。
喫茶店の「喫茶」ですね。この禅語がルーツになっています。


●禅師のところに二人の修行僧が来た。

師 : 前にもここに来たことがあるか?
僧一: 来たことがありません
師 : 喫茶去

もう一人の僧に趙州がたずねた。

師 : 前にもここに来たことがあるか?
僧二: 来たことがあります
師 : 喫茶去

院主が師に尋ねた。

院主: 前に来たことがない者に『喫茶去』とおっしゃり、前にも来たことがある者にも、『喫茶去』とおっしゃる。 なぜですか?
師 : 院主さん!
院主: はい。
師 : 喫茶去


●意味を拾えば
訓註 禅林句集(改訂版)
「まあ、お茶を一杯召し上がれ」 

茶の湯 禅語便利長 (主婦の友社)
「喫茶はお茶を飲むの意味、去は意味を強める助字。
従って、お茶でも飲もうよの意味」

禅語字彙 (柏林書店)
「茶でも飲んで行け」の機語。

禅語辞典 (恩文閣出版)
「喫茶し去れ」お茶を飲んでから出直してこいの意味。

禅林名句辞典 (国書刊行会)
「むずかしい話は抜きにして、まあお茶でも召し上がれ。
お平らに、お楽にという意味」



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